MENU

アメリカを拠点に世界トップで活躍する女性アスリートが得た境地とは・・・

同じ水上スポーツ「水上スキー」の選手である廣澤沙綾はアメリカを拠点に世界トップレベルで活躍し続ける女性アスリート!
彼女のインタビューがdiamond alliansで公開されていました。

blog_img-2
“世界で戦うアスリート”という表現はよく聞くが、海外を拠点に長年第一線で活躍する真のアスリートは少ない。女性アスリートに限定すると何人挙げられるだろう。

その数少ないトップの1人、プロ水上スキーの第一人者廣澤沙綾は、ある境地に達している。

「自分の嫌な部分、自信がありすぎる自分、逃げ癖・・・全部ひっくるめて自分だって受け入れられるようになりました。目標を達成することよりも大事なことに“気づくこと”があると私は思うんです。“気付いて得られた付加価値”って凄く重要」

プロアスリートにかかるプレッシャー。
結果が出せない恐怖、怪我で選手生命が断たれる恐怖、将来が見えない恐怖・・・
“ありのままの自分”を受け入れることがどれだけ難しいか。

「何で目を背けるのか、何をごまかそうとしてるのか、格好悪い自分も観れるようになった。そして良いか悪いかの線引きは、自分で決めることが重要なんだって想えた。海外を拠点に活動して一番良かったことは“自分自身に気付けた”ことです」

image2廣澤沙綾が水上スキーを始めたのは大学生になる時だった。
それまで何も長続きしたものがない自分が嫌だった。
どうせやるなら横一線のスタートで日本一になれるものに挑戦したい。
“自己存在を証明するもの”が欲しかった。
何より自分自身を認めたかった。

「負けず嫌いだし、運動神経はすごく良いほうだと思います。記録は順調に伸びて、大学生のうちに日本一にも手が届きました。でも思ったより達成感が得られなくて・・・そんな時海外の選手から“たった4年でそこまで実力が付いたんなら続けるべき”と言われたんです。普通に就職しようと思ってたんですけど、チャンスがあるならやってみようという気分になったし、人とは少し違う人生も楽しそうだなって思いました」

廣澤にはイチロー選手(マイアミマーリンズ)にも共通する感覚がある。

「打撃はボールを打つ瞬間に生じる狂いを調整するための身体の使い方が全て。そしてその誤差を修正するためのセンサーを持つ事が大事」(イチロー)

「その“センサー”って言葉私すごいしっくりくるんです。ジャンプに必要な大きな筋肉がつくと自分のイメージに動きが付いていかないときがある。しなやかで効率の良い動きをするには、そういった感性を失わないことが凄く大事だと思う」

日本選手権10連覇。アジア大会5連覇。49.6mのアジア記録保持者となり、アジア・オセアニアチャンピオンに3度輝いた。日本人としては男子ですら飛んだ事のない前人未到の50mが間近になるまで記録を伸ばした。

「自己ベストを更新するときは必ず“ゾーンの状態”に入ってますね。前の日からなんとなくの感覚があって・・・口にして記録が出なかったら嫌なので誰にも言わないんですけど分かるんです。出ちゃうな今日っていう感じ」

外からは順調な競技生活を送っているように見える。
歴代プレイヤーの誰よりも結果は残している。
けど何かが違う・・・
廣澤は心が満たされない、葛藤する自分にいつも苦しんでいた・・・
人としてアスリートとしてもう一段階ブレイクスルーを果たしたい。
50mを飛べば今までの悩みが全て解消するのではないか、そう期待していた。

「今振り返ると、もし納得しないまま辞めたら“また中途半端で終わったな”って自分自身が嫌になる事が怖かったんです。その上、本当は辛いし逃げ出したいっていう本音とか、そういうありのままの自分を、当時はまだ全て認められなかった。強がって人には楽しくアメリカで過ごしてるように振る舞ったりしていたら、本当の自分がどれなのか、なんで水上スキーをやってるのかすら分からなくなっていました。もう“いつ辞めようかと”そればかり考えている時期もありました」

image1そんな葛藤の中で迎えた大会がある。2010年オーストラリアでのムンバマスターズ。水上スキー界で最も権威のある大会の一つ。 廣澤は日本人として初のファイナルに進出する。この偉業に声を震わせながら話し掛けてくる日本人男性がいた。

「感動した!ありがとう!!僕は水上スキーを30年観てきたけど、日本人では絶対不可能だと思ってたことを君は成し遂げてくれた!頑張ってる姿を観て凄く感動した!僕自身もこれから不可能だと思って諦めてたことに挑戦する気持ちになれた!頑張るよ!!」

その時だった。
あれだけ頑なに縛られていた自分の心が、スルスルっと綺麗にほぐされていく感覚に陥った。
まるで乾いた砂に水が染み込むように心を優しく温かく癒していく。
これこそ廣澤がずっと探していた“自己存在を証明するもの”だった。

「自分が競技をすることで、他人が新しいことに挑戦する気持ちを芽生えさせていた。こんな風に受け取ってくれる人が一人でもいるんなら、私水上スキーを続けていいんだなって思えたんです。その時からですね。本当の意味でありのままの自分を受け入れることが重要なんだって思えるようになったのは・・・」

3年後。
廣澤は50mを飛んだ。

「不思議ですよね。自分の本来の目的が達成されたことに気付いて、50m飛びたいって気持ちも手放したら逆に飛べた。50mってただ私がみんなに示したかった目標で、自分自身を頑張らせるための単なる数字だったんだなって思います。学習院出身で箱入りで育った自分が、いろんな国の人と触れ合って、色んな価値観に出会えて、葛藤しながら悩んでるうちにだんだん自分を客観的に見れるようになれた。重要なのは自分自身の声をしっかり聞いて、誰よりも自分に正直に、自分らしく生きる事だと思います」

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

みんなにシェアしよう!
もくじ